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シリーズ・電池を考える(1)

シリーズ・電池を考える(1)

「乾電池問題」の発端

1983年、「暮しの手帖」第85号(7月・8月)が「乾電池の中には水銀がいっぱい―大気と大地と水を汚染しないために乾電池の回収を」という巻頭特集をくんだ。5ページから17ページにかけてのまとまった記事で、「暮しのなかで便利に使用されている乾電池には水銀が使用されている。にもかかわらず、使用済み乾電池がそのまま焼却もしくは埋立されているのが実態である。回収して適正処理を行うべきだ」と主張するものであった。

社会問題としての「乾電池問題」の発端であった。

「暮しの手帖」の記事内容を順を追って確認してみよう。

まず乾電池が暮しの中に入りこみ、テープレコーダーなどの持ち運びが簡単で、しかもどこでも使えるという便利さをもたらしてくれたことを指摘する。「乾電池は時代の寵児となりその需要はふえる一方だ」とし、かつてもっぱら懐中電灯用だった昭和30年ころには1億個だったのが、57年には26億個も生産されている。

量が増えたのと同時に、電池の主流がマンガン電池からアルカリ電池になり、それとともに、水銀の使用量が桁外れに増加したという。「暮しの手帖」らしく、メーカーに聞いても教えてくれないので、独自に分析をすすめたところ、びっくりするような実態が確認されたというのである。単一の電池で、多いものには1.3gもの水銀が使用されていたというのである。国内の水銀使用量の統計をみても、乾電池用の水銀使用量は国内の水銀の半分近くの約150トンにあたるというのである。

このようななかで、家庭から出る廃棄物を回収・処理する市町村としても、取り扱いに困っていると指摘する。一部の市町村では、高い税金をかけながら分別回収・適正処理にのり出しているが、それはごく限られたもので、多くの市町村ではそのまま埋め立ててしまうか、燃やしてしまっている。それによって環境汚染がどのように進むのかも検討されずにいるのがほとんどだという。量が少ないからだいじょうぶ、まだ被害がでていないからだいじょうぶ、といって見逃すわけにはいかない、水俣病の経験や教訓をみても、何とかしなければならないというのである。

マンガン電池よりはるかに水銀使用量の多いアルカリ電池。ものによっては300倍も400倍も水銀が使用されているアルカリ電池を1本捨てるのは300本ものマンガン電池を捨てたことになる。メーカーは、この実態にたいしてどのようにこたえるのか、と問いかけるのである。

当時、京都大学環境保全センター助教授であった高月紘さんの以下のような談話が紹介されている。ここには、その後の乾電池対策の基本が明確に示されている。

「いまのような形で、乾電池が捨てられたり燃やされていて、いいはずがありません。解決の方法の一つは、乾電池を水銀を使用しないで作ること、つまり乾電池の無害化です。しかし、じっさいはそれでは不充分なのです。乾電池というのは、水銀だけでなく、マンガン、亜鉛、鉄などの金属のかたまりで、これが大量にまとまって埋立てられたりしたら、やはり環境へ悪い影響があるでしょう。それに、そんな金属をただ捨ててしまうのは、資源として全くもったいない。だから、本当の解決は、乾電池は回収して再資源化することです。メーカーはお金を払ってでも回収すべきでしょう」

 

「暮しの手帖」の特集記事のインパクトは大きかった。これをうけて乾電池対策が急ぎ検討されて行くことになったのである。