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シリーズ・電池を考える(4)

シリーズ・電池を考える(4)

「水銀ゼロ使用」へ

 

『廃乾電池対策のすべて』の資料集に「使用済み乾電池の処理対策について」として厚生省・通商産業省の動きが、また、「乾電池の環境保全対策について」として日本電池・器具工業会の動きが紹介されている。この資料を通じて、厚生省・通商産業省が日本電池・器具工業会あてに要請(昭和59年<1984年>1月11日)を行い、同会がこれに対して行った回答(同1月13日)、この回答を受け厚生省が各都道府県・政令市あてに行った連絡要請(同1月13日)の内容を知ることができる。

厚生省・通商産業省が行った要請は「乾電池使用量の増大に伴って、これらの乾電池が廃棄された場合において、乾電池に含まれる水銀による環境汚染が懸念されています。このため、当面、乾電池に用いられる水銀の総使用量の削減、従来から行われている水銀電池の自主回収の強化等環境汚染の防止に必要な措置を講ずる」ように、というものであった。

これに対して工業会側が行った回答は、

1 水銀電池の新しい用途への使用の抑制

2 使用済み水銀電池の回収強化

3 アルカリ・マンガン電池の水銀減量の研究

4 水銀を使用しない乾電池等、代替製品の研究

5 使用済みアルカリ・マンガン電池の埋立てによる土壌への影響の研究

というものであった。

このようなやりとりの背景には、生活環境審議会廃棄物処理部会適正処理専門委員会での検討・報告とりまとめがあったものと思われる。

昭和58年<1983年>11月の生活環境審議会答申は「今後の廃棄物処理行政の基本的方策」を取り扱ったものであるが、このなかで「使用済み乾電池対策の基本的方向について」も検討され、「今後講ずべき措置」として「乾電池中の水銀含有量の低減化等の推進」「使用済みアルカリ乾電池等の広域的回収・処理体制の整備」「水銀等の排出に関するモニタリングの強化」等があげられたのである。これらの内容については、ひきつづき検討が重ねられ、昭和60年<1985年>7月24日付の厚生省生活衛生局水道環境部環境整備課長通知としてまとめられた。シリーズ(3)で紹介した「使用済み乾電池の広域回収・処理体制」の整備も、このような動きをうけたものといえる。

 使用済み乾電池の回収・適正処理対策がすすめられた一方、上記の工業会側の回答に示されたように、乾電池を生産する段階での水銀使用削減の取組みがすすめられた。アルカリ乾電池について最初は3年後には従来のものに比べ水銀使用を3分の1に減量することが目標とされ、さらに昭和62<1987年>年9月頃を目途に6分の1に減量することが目標とされた。また、他の乾電池と識別しやすいようにする取組みもすすめられた。

 

乾電池にはさまざまな重金属が使用されている。主なものをあげても、カドミウム、鉛、亜鉛、銅、クロム、水銀、ヒ素などがあげられる。重金属すなわち有害物質というわけではないが、やはり人間の健康にとっては注意すべき物質群である。使用済み乾電池が適正処理されないとすると、これらの物質が焼却または埋立されることにより大気や土壌の環境汚染リスク要因になるということは考えなければならないのである。

『廃乾電池対策のすべて』の資料集に収録された東京都清掃研究所の「都市ごみ中有害物質の由来調査」はこれらの重金属に焦点をあてて分析した結果をレポートしている。このうち水銀については、以下のように報じている。

「マンガン電池には一様に含まれる。これは亜鉛の表面を均質化して自己放電を防ぎ、また放電時における亜鉛の溶解を均一にするなどの目的で、昇汞(Hgcl2)を用いて、亜鉛缶の内面をアマルガム化していることに由来する」「アルカリ乾電池はマンガン乾電池に比べて著しく高い。これはアルカリ乾電池では亜鉛粉末が用いられ、この汞化に多量の水銀が必要なことによる」

また、東京都清掃研究所の占部武生のレポート「有害物質の排出実態調査」は次のように報じている。

「これまで報告された分析例から乾電池1ケ当りの平均的な水銀含有量を大きい順に並べると、アルカリマンガン乾電池(単1)940mg、水銀電池620mg、アルカリマンガン乾電池(単2)440Mg、アルカリマンガン乾電池(単3)200mgで、その他では酸化銀電池(ボタン型)が19mgとやや高く、マンガン乾電池は単1が3.9mg、単3が0.9mgと比較的低い。つまり、同じ単3でもアルカリマンガン乾電池はマンガン乾電池の220ケ分、アルカリマンガン乾電池の単1、水銀電池に致っては、マンガン乾電池(単3)の各々1,040ケ、690ケ分に相当する」

同じく、村田徳治も「乾電池の基礎知識」でおなじような分析例を紹介している。

このような乾電池の水銀の需要量は当時でいえば水銀需要量全体のなかでも突出していたのである。村田徳治は同レポートで、水銀需要量の統計を示しているが、昭和58年<1983年>でいえば、国内需要量が230,505kgであるのに対し、電池材料が110,803kgで、実に48%を占めていると報じている。

これらのレポートはいずれも「暮しの手帖」の問題提起を裏付けるものであったということができる。

これらの事実が示すことは、使用済み乾電池の適正処理の課題がいかに重要なことであったのかということ、そして、乾電池対策がまさに日本の水銀規制対策の中心的な課題であったということである。

 乾電池対策が動き始めた。

全国の多くの市町村が使用済み乾電池を分別回収し、北海道の野村興産「イトムカ鉱業所」に搬送し、水銀回収を確実に行う処理を志向することになったのである。

他方では、メーカー段階では乾電池の「水銀ゼロ使用」への取組みがすすめられたのである。

 昭和60年<1985年>、日本乾電池工業会が設立され、12月12日を「バッテリーの日」とし、さらに翌年には11月11日を「電池の日」とするなど、広く広報・啓発の取組みがすすめられた。

 

こうしたなかで、マンガン乾電池の「水銀ゼロ使用」が、さらにアルカリ電池の「水銀ゼロ使用」がはじまるのである。